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2007年2月22日 (木)

●●旅のコラム11●●

-宗教と貧困-

 

この旅で多くの国を訪れ、様々な宗教と出会いました。

どの国でも人々の信仰心は厚く、その文化の多様性に

改めて世界の広さを感じました。

 

日本人は宗教心が薄いとよく言われます。

もちろん日本にも各地方により様々な祭や宗教行事があり

外国からも観光客が見学に来るほどではありますが

どこか単なるイベントとして行われている感があり、他の国のそれほど

本当の信仰心の込められたものでは無いように感じてしまいます。

クリスマスに代表されるように。

「産まれたときは神社へ、結婚式はキリスト教会へ、亡くなったときはお寺へ」

という代表的な習慣にしてもそうですね。

 

私たちも特にこれといって深く教義などを学んで信仰している宗教はありません。

今回の旅の中で感化されてその信者になった、ということもありませんでした。

当然と言えば当然ですが。

 

ただ、本当にその敬虔な人々の祈りや壮大な宗教建築などを見ると

「本当に神様(仏様)っているのではないか?」と頭をかすめることはありました。

 

人間はもともと弱い生き物です。

宗教がその人々の心の救いになることは周知の事実です。

そしてまた宗教は様々な弊害や災いをもたらしてきたことも事実。

  

歴史上の戦争は宗教の対立によるものがほとんどです。

「神」の名をもとに繰り返されてきた争い。

日本も例外ではありません。

 

そして21世紀を迎えた今でもなお、宗教上の対立による戦争は絶えません。

 

 

宗教と言えば、昔ながらのカースト制度の色濃く残るインドでの話。

かつてバラモン教の一部として作られた階級差別です。

このカースト制度の一面を見たことがあります。

 

インドのあるホテルに宿泊した時のこと。

バスルームにタオルが無いことがありました。

ハウスキーピングにその旨を伝えると隣の部屋がちょうど清掃中で

廊下にタオルの替えがあるにもかかわらずその人は

他の清掃員を呼んできてそのタオルを取替えてもらっていました。

 

よく話を聞くと、その人は便器の掃除しかできないとのこと。

それもその理由が、カースト制によるものなのだとか。

仕事上としてではなく、便器の掃除という(ヒンズー教上の意味での)「不浄な」

役割しかしてはいけないのだということなのです。

それ以上の、客にタオルを渡すなどという行為は、

カースト制によりやっていけないのです。

いまだに人が人として扱われていない現実を目の当たりにした一面でした。

 

 

この今でも残るカースト制の名残。

人々は生まれながらに決められたその階級制の定めに従い、

向上心を失ってしまっているという現実があります。

 

低いカーストに生まれたのだから、いくら努力しても良い生活は望めない。

だから努力をしない。そして貧困から抜け出せないという悪循環が起きてます。

 

またこの旅で訪れたミャンマーでも、信仰心の強い特に地方に住む人々は

自分たちの生活を良くしようとはあまり思わずに満足してしまい

稼いだお金を貯めずにお寺への寄付に使ってしまうと聞きました。

 

 

ただ一つ言えることは、貧困だからといって心まで貧しくなるわけではないということ。

これは厚い宗教心が心を豊かにしているためだとも思われます。

 

逆に貧困が心を貧しくする場合も時にはあります。

人をだましたり、盗みを働くようになったり。

 

宗教と貧困の相関関係は奥が深く、私たちのようなある意味

宗教心の希薄な国民にとっては、容易には理解しがたい問題だと感じました。

 

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